ぶどう膜炎の話(6)

昨日はかかりつけの桂病院に行って来ました。
病院まで徒歩で行くんですが道中のお家の庭先の凌霄花が目に鮮やかで、いつもこの時期に発作を起こしてはこの花を見ながら通院したよなあと感慨深かったです。この花を見るたびに通院してた時の、途方にくれたような気持ちを思い出すのかな。

さて、間が空いてしまったのは、ちと時系列を整理していたためです。
ぶどう膜炎の原因を探すために全身の検査をして、結局何が原因かわからなかった話を前回はしましたが、全身を検査すると粗はいろいろと出るもので、私の場合はまず貧血を指摘されました。

貧血は随分前からいつも指摘されてまして、デビューしたくらいの頃に比重不足で献血できなかったのを皮切りに、血液検査の機会がある度に指摘され、原因を治すよう指導されていました。でもまあ女性は貧血と低血圧はよくなるもんだしと、ずっとスルーしてたんですな。
桂病院での検査の結果、この貧血がちょっとひどいということで血液内科に通うことになり、さらにCT検査で子宮筋腫がみつかって、これが貧血の原因らしいので目の治療が落ち着いてから摘出の手術をしてもらいました。

入院して子宮筋腫の手術が終わり、起き上がって売店をうろうろできるようになった頃のことです。
朝起きたら目がちょっと痛い。まだたいしたことないけどこの痛さは覚えがある……と、回診にきた産婦人科の先生に訴えて寝間着のまま眼科で診てもらいましたら、やはりぶどう膜炎が再発していました。手術で免疫力が下がったのが災いしたようです。
ぶどう膜炎を治そうとして検査したら筋腫がみつかって、みつかった筋腫の治療をしたらぶどう膜炎になったというまさに本末転倒な事態ですが、幸いこの時は、みつかったのが早かったので注射をするほど悪化せず、目薬だけでの治療となりました。
目薬だけとはいえ、前回と同様、2時間おきの目薬から1日四回に減って、経過観察も毎日通院から1週間ごと、一ヶ月ごと、二ヶ月、三ヶ月……と寛解状態までもっていくのに半年以上かかりました。

そうこうしているうちに雑誌での仕事がなくなりましたので、以前からお世話になっていたマンガ家先生が「じゃあうちに来る?」と誘ってくださり、アシスタントに行って糊口を凌ぐことになりました。

自分の締切ではないというのはたいしたもので、締切当日に時計を目の片隅に見ながらデザインナイフを振り回していても、あの「間に合わないかも間に合わないかも間に合わないかもっ」という、きゅうっと視界が狭くなるような、背筋がずっと冷たいままのような感覚がないのですよ。だって自分の締切じゃないんだもん。

締切のストレスから解放されたとはいえ、泊まり込みのアシスタントというのはストレスフルな仕事です。
私が伺った先生方の処は、噂によく聞くアシスタント残酷物語とは別世界の、睡眠も食事もおやつもきっちりとれてお給料はいいという、天国か!みたいな仕事場でしたが、それでも、電車で片道2時間をかけて行った他人の家で何泊もして、ずっと座ったまま苦手な背景を描いたりということが、多い時には月の半分以上に及ぶこともあり、ただでさえ心もとない私の体力にはちと余ることだったらしく、アシスタントに行っていた5年間はほとんど毎年、ひどい時は年に二回、ぶどう膜炎が発病していました。

そんな私のへろへろ加減を見兼ねた先生から、まず治療に専念しなさいと引導を渡されてアシスタントをリタイアしたら、体というものは正直なものですな、やめた直後にまた発病したのを最後にぴたっと発病しなくなりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。